北見に嫁いで早20年弱。道外出身者目線からのリポートを書いていきたいと思ってます。食べることが大好き、お酒が大好き、いつか北見の「おんな酒場放浪記」をしたいと思っている、北見LOVEな事務担当の者です。
北見の歴史的シンボル・文化遺産「北見ハッカ記念館」
北見のハッカブランドは昭和初期に最盛期を迎え、世界の7割を占める薄荷王国となっていきました。
その発展に大きな役割を担ったとされるのがホクレン北見薄荷工場(昭和9年建設)でした。後に工場の閉鎖時に伴い、北見市に敷地を含む建物や工場設備100数点などが寄贈されました。
1986年事務所として使用していた場所を改修して出来たのがハッカ記念館です。
現在の北見駅から徒歩で10分程行けば、ピンクに彩られたモダン情緒溢れる外観が見えてきます。
館内に入ると当時の雰囲気そのままに感じる事が出来ます。多くの文献や資料が展示されているので、この地方が北見ハッカブランドで発展して、街や人がどのように薄荷と密接し歴史を歩んできたのかルーツを探る事が出来ます。
ー平成19年11月30日、経済産業省より日本近代化産業遺産として認定されていますー
明治末から北海道の経済を支えたハッカ栽培の歴史
北見で薄荷の栽培が始まったのは明治35年頃からでした。もともと薄荷栽培は北海道の気候にも良く合い、冷害にも強く比較的栽培しやすいとされていました。また当時は大豆や小麦が一反4円程度だったのに対し、ハッカは 40円と破格の10倍以上の値を付けました。高収入が得られる作物であったため瞬く間に広がっていき湧別・斜里・北見地方の主要作物となっていきました。しかし、日本は戦争に入り食糧増産が行われるとともに、ハッカの収穫量も落ちていきました。また不正取引などが横行した事によって、価格が下落しハッカの生産数も停滞していきました。
再び北見のハッカ産業が活気を取り戻すのは1933年頃でした。ホクレンが精製・流通を引き受けることになり生産数も徐々に上がっていきました。また田中條松さんという方は、ハッカの採油量を上げる方法で「田中式蒸留窯方法」という従来釜の9倍採取量を上げる画期的なシステムを構築しました。
昭和14年には当時の世界薄荷市場の約70%シェアを占めるまでに成長し、北見市の重要な産業を形成するまでになっていきました。そして世界への輸出が始まっていくのを機に、北見のハッカの栽培面積は約2万1000ヘクタール、取扱い油の生産量は780トンとなっていき、北見の街は薄荷の香りで埋め尽くされました。
その後、度重なる戦争と合成ハッカのシェア拡大で世界の需要も変わっていき、1983年に北見のハッカ工場は閉鎖してしまい、同年ハッカの輸入関税も引き下げられる事になりました。
入場料無料!様々なイベントも開催している「薄荷蒸留館」
北見ハッカ記念館の横に薄荷蒸留館があります。ここではハッカ農家が取卸油をとる工程を再現・体験する事もでき、どこか駅舎のような懐かしさを彷彿させる場所なんですが、それは当時の薄荷農家が共同で小屋を所有した様子をそのままに再現されているからという事でした。館内にはかつて北見を世界に押し上げた貴重な箱蒸籠型蒸溜器、田中式蒸留釜もあり、北見産「和種薄荷」の蒸留実演を見学する事が出来ます。
館内では年間で様々なイベントをしていますが、特におすすめなのが「ハッカ蒸留体験プログラム」です。こちらは予約制となっており、アロマオイルと和ハッカでブレンドし、無添加オリジナルハンドクリームを作成する事が出来ます。大人だけでなく小さなお子様でも丁寧に教えてくれるので親子で楽しむ事が出来るので是非やってみてください。
館内にはハッカ製品が買える売店もあり、定番の虫除けスプレーやバスソルトなど、どれも持ち運びには困らないサイズなので、最初の観光場所でもお土産を購入する事をおすすめできます。入場料もかかりませんので休憩に行ってみるのも良い所だと思いました。
ハッカには数多くの種類が存在しています。ミントも呼び名が変わるだけで違いはありません。現在では食料品、化粧品、医療品など様々な分野で使用されています。暑い夏の寝苦しい時にハッカの香りがあるだけで、空間が涼しく感じられるのはメントールという成分が含まれているからです。
庭先には数種類のハーブがあり、どこか昭和レトロな建物は袴や着物などで着ても写真映えするスポットだと思います。
北見ハッカ記念館へのアクセス
北見市民会館からも近い「北見ハッカ記念館」。北見へ観光に来た方も、まだ行ったことがない方も是非一度訪れてみてはいかがでしょうか。
名称・北見ハッカ記念館・薄荷蒸溜館/きたみはっかきねんかん・はっかじょうりゅうかん
所在地・北海道北見市南仲町1-7-28
TEL・TEL:0157-23-6200 / FAX:0157-23-6200